私と侑子さんとの出会いは 彼女が中学1年の冬。同級生の数人と英語を習いにきました。 「英語がわからないから」という理由でした。確かに あまりよくわかっていませんでした。 最初は大変でした。しかし、いつの頃からか、急に伸びてきました。その変化は顕著に現れ始めました。 いったんコツをつかむと、あとは水を得た魚。侑子さんは 授業中 真面目で、おとなしく、 しかし言われたことは確実にこなしていました。 内に秘めた強いものを感じました。そんな侑子さんを見ていて、英語力は確実に伸びるという予感はありました。 その根底に 国語力は欠かせません。彼女は読書量が多いのです。それを聞いて私の推測は確信に変わりました。 高校時代も ジョイフルで英語を続けて勉強しました。ネイティブのレッスンも多くこなしました。 こつこつと積み重ねた努力の結果は 今の彼女を見ればわかります。 何が彼女の分岐点になったのでしょうか?そんなことが聞きたくて、インタヴューしました。
A: 中学3年の時、中津川市の夏休みの研修で オーストラリアへ10日間。
高校の修学旅行で ニュージーランドへ5日間。
大学時代(現在も在学中) カンボジアにボランティアで10日間。
フィージー、サイパン、中国、韓国へは旅行で行きました。
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カンボジアの子供たち
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とてもかわいかったアユンです
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世界遺産のアンコールワット
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アンコールワットの中の遺跡です
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中国のホストマザーに民族衣装を着せてもらって
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いっしょに餃子をつくりました
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万里の長城
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韓国にて チョゴリを着せてもらって
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フィージーにて
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フィージーで 船の操縦士さんと
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A:何となく・・・勢いで・・・
うまく言えませんが、中学2年の2学期に英語の成績が上がったんです。
それが今までの私を大きく変える きっかけとなりました。
やれば出来るうれしさを味わい、英語が好きになりました。
そして中津川市主催の国際交流で、夏休みに海外研修に行ってみようと!
そのオーストラリアで いい人にめぐり合い、いろんな体験をさせてもらいました。
それ以降は英 語に対するモチベーションはどんどん加速していきました。
A:まずはやはり 「英語がわからない」ですね。
何しろ 中3の時のオーストラリアでは さっぱりでした。
それに言いたいことも言えない。わからない〜で終わってしまいました。
A:一番困ったのは 北京のトイレです。ちょっと田舎のほうだと 穴が掘ってあるだけで・・・
最初は本当どうしようかと思いましたが、しょうがないですよね。
やり方は・・・現地の人のを見て、こうするんだ〜みたいな。
A:もっと英語を勉強して、多くの国を訪れてみたいです。いずれは海外の大学院に行きたいです。
このインタビューはまだコートを着ている時期にさせてもらいました。私のHPがなかなか作成が進まなくて・・・
こういうふうに成長している生徒さんをみると 本当にうれしいです。
今週から侑子さんは中学に教育実習にやってきます。私の娘もその中学にいます。
いろんな話が聞けそうで、今から楽しみです。
若いときにいろんな体験をしてほしいです。まだまだやることはいっぱい!応援してます!
2009年3月インドへ旅立ち
2012年3月再会(チコリ村) こんどはアブダビ〜旅立ち
3年の時はおそろしい〜 と 改めて思えるこの2枚の写真です。侑子さんは3年で学生から社会人になり、美しい娘になり、私といえば、う〜ん 3年ごときこの年頃ではそうかわらないものですが、しかし、ふけたね〜。
インドでの修行(ほんとに侑子さんにとっては修行でした)を終えて帰国したときに、ジョイフルに来て高校生クラス
でインドでの体験を話してくれました。その後、東京で塾に勤めて2年です。この3月に突然のメールです。
「この度、エティハド航空にキャビンアテンダントとして採用されました。先生にリファレンスをお願いできませんか?」と。何ですか?エティ・・何?それどこですか? と、さっそく調べてみると、UAEのナショナル航空。
この少し前に、他の生徒からも CAの面接に行くからとレファレンスを頼まれたばかり。しかし、今もCAの競争率
はすばらしく高いそうです。採用試験も書類選考から始まり、6次まであるそうです。
新卒で無いのに勝ち取ったのは、素晴らしい!
侑子さんの拠点はアブダビ。ドバイの近くです。私の夢の1つである「砂漠に行く」に一歩近づいたかな?
今回も、出発前に中3のクラスに来てくれました。毎年ハロウィンパーティで手伝ってくれていた侑子さんを
覚えている子もいました。そしてアブダビに旅立つ前に、今までのことを簡略にまとめてくれました。
Joyful English
ジョイフルには中学1年生の終わりから高校を卒業するまでお世話になりました。先生方の厳しくも(本当に厳しかった笑)高い指導力のおかげで英語ができるようになり、できるようになったことでどんどん目が世界に向いていきました。中学3年生のときにはあの英語でひどい点数を取っていた私がオーストラリアに行きたいと両親に頼み込み行かせていただきました。そのときなぜか私は先生たちには言わずに出発(笑) 先生すみません。。。そこでホストファミリーやVickyというとてもパワフルな先生との出会いがもっと英語ができるようになりたいという気持ちを大きくしました。高校のときはジョイフルでネイティブスピーカーとのマンツーマンの授業を受けさせていただきスピーキング、リスニングを中心に勉強しました。よく発音を褒められるのはこの時の指導のおかげだと思います。
全てはここから始まったといっても過言ではない私の原点ともいえる場所です。
インド
大学を卒業してすぐ海外で働いてみたいと日本で就職はせず、インドで9か月日本語教師のインターンをしました。インドという日本とは全く違う文化や価値観の中で働くということは正直簡単なことではありませんでした。毎日通勤の際にはぼったくられ、会社につけばインド人従業員と仕事の仕方について喧嘩をし、疲れて帰ってくると停電で何もできないという日々でした。ただ今思うとあんなに自己主張して自分で考えて行動したのは初めてだったと思います。精神的なタフさを身につけられたと思います。
もちろん大変なことばかりだったわけではありません。他の国からのインターン生と一緒に生活をしていたため、一緒に旅行に行ったりご飯を食べに行ったりゴキブリを退治したり(笑)今ではいい思い出です。インターン生は将来国を担うという意識の高い優秀な人たちの集まりでしたので、その人達の考え方に触れられたことは私自身の考え方にも大きな変化をもたらしました。
東京
インドから帰ってすぐ就職先を探し始め、東京にある50年以上続く学習塾でお世話になることになりました。幼稚園生から中学3年生までの生徒に英語を教えていました。入ってまず感じたことは自分の英語の知識がどれほど貧相だったかということです。構造的に文法を考えたことがなかったため、英語を熟知した先生方についていくには一から勉強せざるを得ませんでした。また幼稚園生に英語を教える際には何時間も家で準備をしても失敗することも多く、その繰り返しでだんだんと慣れていきました。さちよ先生、くみ先生はこんなに大変なご準備をされていたのかと改めて尊敬しました。
またこちらでは英語の指導法だけでなく、電話の取り方から仕事への向き合い方まで社会人としての基礎を教えていただきました。英語ができるようになるとついつい目が世界に向いてしまいます。しかし世界でやっていくには日本のビジネスマナーや仕事観は絶対に持っておくべきだと思います。なぜなら日本が世界一だと思うからです。それらが身についていればどこの国に行ってもやっていけると思います。ですからこの2年間は私にとって本当に価値のあるものだと確信しています。
アブダビ
東京では2年働きましたが、インドでのエキサイティングな経験が忘れられず、もう一度英語を使っていろんな国の人たちと知り合いたいという気持ちが大きくなり転職を決心しました。エティハド航空は国籍関係なくどの国にも乗務する機会が与えられ115か国の人が働いています。まさにインターナショナルという環境です。インドという厳しい環境でやりきれたこと、東京で社会人としての基礎を叩き込まれたことが自信につながり、なんとか合格をいただけたのだと思います。
旅立ちの日が近づいてくるごとにどんな出会いが待っているのだろうととてもワクワクしています。
今までの経験の中でいつも思うのは人との出会いの有難さです。人との出会いによって考え方が変わり、考え方が変わったことで人生が変わっていきます。英語をきっかけに出会えたたくさんの人たちに感謝しながら、私もいつかは人に影響を与える人になれるよう20代の間はがむしゃらに走り続けたいと思います。
アブダビからの報告が来ました! すごく大変な研修の様子、でもそれをとても楽しんで受けている侑子さんの様子が手に取るようにわかります。今はすでに研修を終えて、実践フライトデビューしてます!
(多分。いや、絶対)
活き活きと輝いてますます美しくなっています。
近い将来、私の「砂漠に行く」夢がかなうかな。ね、侑子さん!